"ねこ"と"シュレーディンガー"。

モナ。

 

原神のおはなし。

 

先日、八重神子引こうとしたら、モナがきた。

 

うーん…。

甘雨持ってないしモルガナ編成組めるわけじゃないため、あまりうれしくはない。

 

今期も課金コースなのだろうか。

 

 

綺良々。

 

今日、祝福を購入した最初の90原石で一回ガチャを引いたら、綺良々がきた。

 

元はオス…なるほど。

(猫又に性別が変わるという設定はないものの、伝承では女型で描かれることが多々ある。)

オタクのなんたるかを把握済みというわけか。

Hoyoverse、やるなと、感嘆せざるを得ない。

 

ちょっと関係あるけどあまり関係ないはなし。

一時期、性別に対するヒトの認知について疑問を抱いたことがあり、まじめに調べていたことがある。

簡単に説明すれば、「容姿で判断するのか、内面で判断するのか」。

近年、TS物の創作が珍しくなくなり、そうゆう作品を嗜む度に妙な気分にさせられた故の疑問であった。

トランスジェンダー問題とかも浮き彫りになってきたことだ。

いや、正確には昔からそのようなヒトタチは存在はしていたと思う。

抑圧されていて、表に出すことを許されなかっただけだろう。

 

生物学的に性別の定義は、染色体と外見で決定されるケースがほとんどである。

実際に、ヒトにおいては男女の堺があいまいになる事例はほぼないとされる。

どれほど中性的な容姿、中性的な内面であっても、検査することで確定することができる。

 

では、創作の世界のようにTSという概念を導入すると、もう一つべつの次元で思考することが可能になる。

「元男」もしくは「元女」を、第三者は見抜くことができるのか、という点である。

例えば、ある男性Aが謎の力でTSし女性Aになったとする。

その女性Aは、事務的な手続きのややこしさを除けばおそらくそのまま「女性として社会を生きる」ことが可能である。

そこで、女性Aと知り合いではない第三者Bを用意した場合、その第三者Bは女性AのTSの事実を見抜けるだろうか。

このようなケースを考えると、生物学的には性別が染色体と身体的特徴で絞り込めるのとは別に、「内面的な性自認」という変数に注目することができる。

何故なら、TSした女性A自体は、自身の内面が男性であるということを知っているからだ。

ある種、二分探索的な思考である。

 

仮に、この世に隠されたTS技術が存在したとして、その場合あなたの周囲の人間の性別は見たままと決定づけられるのだろうか。

そんなことを考えていると、段々と周りが信じられなくなってくる。

周りのヒトが、当人しか知り得ない技術でTSしていていたとしたら、自分がそれを見抜く術は果たしてあるのか?

いつ何時も、前提条件の転倒の原因は、自分には観測不可能な"過去"にある。

そして、その「事実の観測不能」にすら気づけず、己の脳内に展開された世界を事実として参照し続ける者こそ、"バカ"と呼ぶのだ。

量子力学では、自分の"意識"が、現実世界の物理的挙動に干渉可能であることを科学的に証明しようとしている。(コペンハーゲン解釈。二重スリット実験で有名。)

(それを利用した非常にスピリチュアルな理論が出回っているのも事実だが、ほとんどが解釈不足と誇大表現の産物であるように見える。)

これだから、ヒトの認知というものは面白い。

 

soundcloud.com

 

「”Ψ” 見えるままの 花園のように 眠る 」

観測による波動関数 Ψ の収束と、1つの事実の確定。

シュレーディンガーは神たるか?

(この曲、過去トップレベルで歌うまく録れたと思っている自分がいる。)

 

 

それだけ。

以上。

おやすみ。

沈みゆく孤島より。

さて。

 

 

最近はオールドなビデオ周りの機材整理をしているわけで、今回もそのおはなし。

VHS-Cレコーダ。

 

National NV-200。

 

電源を入れると、10秒ほどで勝手に電源が切れてしまう。

電源スイッチにソレノイドが入っているタイプのようで、内部で保護が働いた結果、ソレノイドが勝手に電源スイッチを落としてしまうみたい。

 

なので、電源スイッチになにか詰め物をしておけば落ちることは無いのだが、ずっとカチカチとスイッチを落とそうとするソレノイドの嗚咽が響き渡り、うるさい。

そのため、一応内部を開けて観察してみた、という運び。

 

 

内部を観察していると、テープのローディングアームにずっと力がかかっている。

ローディング用モータを取り外してみると、ずっと一方向に回転し続けている。

ローディングアームはすでに限界まで移動しており、モータはストール状態になっている。

ここのメカは、モータはCW, CCWできないといけないはず。

とりあえず、DCモータドライバ周りを疑った。

 

構造は単純なNPN, PNPトランジスタを用いたHブリッジ。

回路をトレースしてみるも、トランジスタの不良もみられないし、ベース信号を外部から入力するとCW, CCW, ブレーキ動作もできている。

よって、モータドライバの故障ではない。

DCモータドライバ回路は、Hブリッジの片方のトランジスタが故障したりすると、一方向に回転する症状が見られることが多いのだ。

 

 

となれば、テープローディングアームの位置検出が正しく行われず、モータの動作に影響が出ていると考えた。

 

モードスイッチ(エンコーダ)。

 

ローディングアームの位置を検出するエンコーダ。

みるからに接点が汚れているし、一部のバネ接点は曲がっており、接触できる状態になっていなかった。

とりあえず、これを修理。

 

 

この状態でエンコーダを組みなおし、手でエンコーダを回すとモータがある位置で停止するようにはなった。

なったものの、逆転動作が行われない。

逆転しなければ、ローディング動作は行われない。

まだ別の場所が壊れているようだ。

 

 

フロント基板裏。

 

信号をトレースしていくと、エンコーダの信号線のうちひとつの配線が導通していないことが分かった。

エンコーダのコネクタの隣にある電解コンデンサがわずかに液漏れをおこしており、ビアが腐食してビア内断線を起こしていたのだ。

 

パターンを追跡し、本来導通していなければならない直近のピンにジャンパを施す。

 

 

よし。

ローディングアームの挙動は正常になった。

 

が、ドラムまでしっかりとテープが送られているように見えるものの、勝手にアンロードされてしまう現象に直面した。

うーん…。

ロードの挙動に変な点は見つけられないけど…。

 

テープのロード判定用のなにかしらのセンサが不調なのか、はたまたエンコーダが微妙にずれていて、ローディングアームが目的地に到達したと判定できていないのか…。

色々とエンコーダの位置を変えてトライし続けたものの、機構として動作する、おそらく正しい一点でも勝手にアンロードされてしまう。

 

さすがに時間を溶かしすぎてむなしくなったので、これの修理はあきらめかな。

ただでさえかたくとめられたネジを付けたり外したりを繰り返して調整を行うため、手がパンパンだ。

 

コストリターンが見合わないため、テープでの記録は諦めて、ビデオ信号をSDカードかなにかに保存するシステムでも起こしたほうがおそらく早い。

NTSCデコーダはどうしようかとか、SoCは何を使おうかとか、もう考え始めてしまった。

気が向いたら、つくろうかな…。

 

実は、あれこれいじっているうちに基板内部でテスタのプローブでショートさせてしまい、専用電源を壊してしまった。

ヒューズを交換してみるものの、電源を投入するとすぐに飛ぶ。

あぁ…。これはパワーデバイスが逝ったか。

結構、動作状態で出回りにくいレアな電源なんだけどな…。

ずっと悲しかった。

すごく死にたくなった。

なんで自分ではなく、この電源が死ななければならないのか、ずっと考えていた。

まぁ、レコーダ自体はバッテリー駆動可能なものなので、バッテリーハウスにXT-30のコネクタを生やして、手元にあるLiPoバッテリーを接続可能なように改造してみた。

しっかり使える。

電圧監視用の表示器でも乗せないと運用上危険なので、それをやってから色々遊ぶとしよう。

こうゆう特殊な趣味は、"遊び"を開始するまでの事前準備で十分に疲弊してしまう。

 

 

ふぅ。

夜ごはんの時間だ。

 

 

餃子定食。

 

近所の中華料理屋さんでおなかを満たす。

餃子、おいしいな。

ここ、一応タンメンがおいしいといわれているお店なのだけど、個人的には餃子が一番おいしいと思っている。

 

TVに目をやる。

なるほど、G7広島サミットね。

 

しかし、この出来事によって、一部国民の間で、某総理への株が急上昇しているようだが、あまりにも稚拙と言わざるを得ない。

そもそも、このような類のセレモニーは政治的な意味しか内包していない。

ここでいう政治的とは、各々の関係において、利益と共感を商材としてやり取りするような状態、場面をいう。

表に出ているもの、特にTVや新聞など、大手企業がスポンサーになっているような媒体では、その内容自体が権威の"シナリオ"に過ぎず、プロパガンダという他ない。

悪の組織だって、「これから悪いことをしますよ」とは言うわけがないのだ。

 

日本政府が過去に行ってきた詐欺師のようなふるまいを一切無視し、唯々一度の外交のみで信用どうのこうのと囃し立てる様は、見ていて実に気持ち悪いと感じる。

このような国民のしぐさの本質は、情報網の固定化と、個々の固定観念の増大に起因する"自分軸の消滅現象"だ。

大きいものに巻かれるのがケースにより悪とは言い切れないものの、自分の深層に抱えておくべき信念など無く、ただ流行りや"見えているもの"に同調する民衆。

表向きと裏の概念が頭の中からすっぽり抜け落ちているのが、バブル崩壊後の日本人の、本人すらも気付くことができない国民性だと感じる。

あれほど雑な政治を行われてもなお、「いやでも前より良くなったし~」みたいな言説で支持を固めている一部の層は、もはやカルトに巻かれているとしか捉える余地はないのだろう。

国民が疑うことを知らなくなった国の末路。

それは、まさに今G7広島サミットにて、悪と定義する国のたどった軌跡ではないのか。

 

 

この感覚は、すでに中国戦国時代の思想家、法家の代表的人物である、韓非(Han Fei) がその自伝、「韓非子」で次のように語っている。(多分ゲーム 「原神」のキャラ 煙緋のモチーフ?)

 

「流行り廃りに乗りやすく、自分の軸を持っていないヒトというものは、周囲がYESと言えばYESに意見を変え、NOと言えばNOに意見を変える。

よって、そのような人物は自分(一人称)が観測不可能な所にいれば平気で意見を変えているであろうし、他人には顔色を変えて対応をしているであろうし、また誰か個人に、もしくは事象において、"絶対的な信頼"を持てない人物である可能性がおおいにあるわけである。

そのようなヒトは、短いスパンで考えて信用するのは問題ないものの、長いスパンで考えたときに、大きな力をもった集団…つまり社会などの表面上多数の意見次第で簡単に自分を裏切る可能性を内包しているといえるわけだ。

そのような人物を信用するのは果たして合理的なのかと言われれば、おそらくそうではないであろう。」

 

僕はそのような人物は、話し方や話題の持って行き方などである程度見分けを付けられるため、"敵"とみなし、深くは関わろうとは思わない。

無論、本人にそのことを伝え、邪険にするのは得策ではないから、やんわりと対応するに留めるのだが。

 

しかし、自分の意志を持つことがそれほど難しい時代になってしまったのか。

正直理解に苦しむところがあるが、いつの時代も、自分軸を持てない人間に共通するのは、「臆病であること」のように思える。

自分が間違うことに恐怖しているから、大きいものに巻かれようと、流れに乗ってれば問題ないと、そうゆう判断をするのであろう。

そのような意志の示し方は、果たして本当に意味のあるものなのだろうか。

個人的には、結果的に自分の首を絞めているようにしか捉えられないのだが。

それで平和だと感じれるほど、能天気なのもまた問題であろう。

過度な性善説は思考を腐らせる。

それこそ、そのような人種は、巨大な"詐欺師"のターゲットに、今まさになっている最中なのではなかろうか。

 

 

僕は自分が、また周囲のヒトが生きやすい社会になることを願って色々な事を考え、苦悩してきた人生であった。

もう少し、すべて個人が本来の意味の"考え"を持つようになれば、悪も口笛を吹きながら跋扈できぬ時代が到来すると信じている。(いや、昔はそうだったと言われている。よい意味で、個人個人が自分の色を持ち、邪な視線すらも入る余地を与えなかった。)

…だが、そのような動きすらも"日本人には向いていない"と言われる国民性になるまで落ちぶれてしまったのだな、と感じる今日この頃。

 

日本が原爆投下で学んだことはそれほど軽い事なのだろうか?

爆弾が落とされなければ平和と言えるほど、我々は困窮した民族なのか?

確かに、今回の外交を否定することは僕には出来ないものの、政治とは、外交と内政のセットで考えるものだ。

外ツラだけ良ければ国民は満足なのだろうか…。

あまりにも浅はかだ。

 

日頃からこうゆうことを考えていると、頭が痛くなってくる。

さて、明日もまた、自分にとって意味のある行動ができるように願う。

おやすみ。

一度あることはニグレド。

さて。

 

今日もお仕事の作業を進める。

あっちのタスクも、こっちのタスクも。

ただ淡々と、鉱山を掘り進めていくかの如く。

 

本日は、また時代に置いて行かれた産物のお話。

 

National VZ-C90のなか。

 

またもや撮像管カメラの修理を。

これは、そもそも撮影できないという症状。

電子ビューファインダーユニットを接続しても、像が映し出されない。

 

 

動かない原因はすぐにわかった

起動時、あのキーンという昇圧トランスから鳴る磁励音が聞こえないことから。

これは撮像管の電源が壊れている、と判断した。

 

 

撮像管のソケットに、オシロスコープのプローブを接近させ、各グリッド用の高電圧が発生しているか確かめる。

最初からテスターを当てると、仮に正常に高電圧が発生していた場合、テスターを壊してしまうからだ。

オシロスコープのプローブを接触させずに接近させれば、電位上昇から非接触で高電圧が発生しているかを確かめることができる。

プローブを接触させなければ、オシロスコープが壊れることも無い。

 

プローブを接近させてもなお、電位は上昇せず。

高電圧は生じていないと判断し、この段階でやっとテスターを当てる。

高電圧は生じていなかった。

 

 

高電圧発生部。

 

高電圧を作り出す部分は大量のノイズを輻射するため、ステンレスのシールドで覆われている。

このシールドは基板に厚かましくはんだ付けされているもすべて取り外し、内部を確認する。

 

結果的に、いくつかのコンデンサの容量抜け、さらにパターンの断線箇所を発見した。

部品交換とジャンパにより修理。

 

VZ-C90 動作確認。

 

無事修理完了。

郷愁駆られる像を得るための、その手順1。

 

レコーダに接続してPC上にオーバーレイもできた。

先日修理したVZ-C600よりもこちらの方が色が綺麗だろうか。

まぁ、僕の調整のせい、という要因の方が大きいかもしれない。

 

 

撮像管カメラの調整は大変なのだ。

今のカメラのように、単純にRGBやらコントラストやら露出やらを調整すればよいというものではない。

撮像管の原理上、偏向ヨークの走査縦横幅、縦横位置から、フォーカシンググリッドの電圧まで、調整可能なすべてが「色に作用する」のだ。

基板上には20以上の半固定抵抗があり、それらすべてを微調整していく。

少しでも縦横比や位置、電子ビームフォーカスが狂うと、像はたちまち紫一色とか、緑一色とか、または全く映らないという状態になる。

また、内部はRGB信号ではなくチューナ回路によりmixされた色相信号である。

赤と青はまだ調整しやすいのだが、緑に関してはそう簡単にはいかない。

他のパラメータと赤・青の調整がぴったりあって、ようやっと満足のいく緑が出る。

原理を理解し、またノウハウがなければ、調整すらできないであろう怪奇な装置なのである。

 

 

VZ-C90 にて撮影したエレクトーン。

 

青も黄色も、この時代のビデオカメラにしてはよく出ている方だと思う。

画面の端が緑になるのは、原理上仕方がない現象である。

この画質、今のカメラでは当然出せないし、モダンなオーサリングソフトでエフェクトをかけても、これを完璧に再現することはできない。

これを通すと、なんでも懐かしい画になってしまう。不思議だ。

 

 

 

さて、作業も終了して、ゲームの時間。

最近はゲームに触れられない日々も増えてきた。

夜になるともう疲れ果ててしまってダメなのだ。

もう3週間ちかく教習所に行けてないな、とか、考えてしまうと気分が落ち込んでしまう。

いや、できることからやっていくしかないのだが…。

割り込みタスクが多くて、このままではダメな気がする。

なにか策を考えなければ…。

 

学科、もうなにも覚えていないや。

さすがに期間が空きすぎだ。

復習してから挑まないと…。

どうにかしてまとまった時間を確保する必要があると思う。

 

 

 

こんな感じで、生きていると、常に憂鬱でつらい。

生きるのをやめれば、そこには憂鬱のない世界が待っているのだろうか。

観測不可能な次元への好奇心は止められない。

 

 

さて、

おやすみ。

像を見る電子。

今日は朝早くから電話ラッシュ。

お仕事まわり、関係各所からのコールが止まらない。

なんともにぎやかなものだ。

 

お仕事の作業が一段落したら、ひとつ作業を用意してくる。

昔、Commodore Amiga という忘れられたコンピュータにて、動画をいじっていたころに、近所の骨董屋で入手した、National製の古いカラービデオカメラを取り出してきた。

 

VHS-Cのレコーダに接続して録画するタイプのビデオカメラユニットである。

半導体撮像素子すら生まれていない時代の物理の産物。

撮像管時代のものである。

当時(10年以上前)はこれで撮影した動画素材を、NEC PV-S98 COMBOY にて取り込み、Amiga A4000上の Video toaster と Scala MM400 という拡張ボードおよびオーサリングソフトウェアで編集し、映像制作のいろはを学ぶ…ということをやっていた。

 

 

早速電源を入れてみるものの、まず映像が出ない。

電子ビューファインダーユニットも所有しているので、接続するも、横線が出るだけの通称「横一」状態。

とりあえず、ビューファインダーを直す。

 

分解した電子ビューファインダーユニット。

 

横一状態になったCRT(ブラウン管)の故障原因はおおよそ予想がついている。

経験上、このようになったCRT制御基板は垂直走査回路の不良、それもはんだまわりの不良が多いと知っている。

垂直走査回路は大体が汎用のアンプICを利用しており、電気的にはかなりタフな設計になっていることが多いから、半導体回りの故障はあまり遭遇しない。

 

電子ビューファインダ基板上の液モレ。

 

あぁ、やっぱり。

いくつかのパーツを取っ払って見てみると、基板上の電解コンデンサが液漏れしている。

漏れた電解液がリードを伝って基板上に流れだし、リードとパッドを腐食している。

見た目では断線しているように見えないものの、導通試験をするとやはり断線していた。

液漏れが原因の基板へのダメージは、"見た目では分からない"から厄介なのだ。

明らかに腐食しているところはダメだと判断がつくが、蒸気にさらされたその周囲もやられている場合が多い。

 

 

さて。

電解液で腐食したパッドにはもうはんだがのらない。

そのため、電解コンデンサを交換した後は、基板から飛び出ているリードと、近所の本来結線されているパッドをジャンパでつなぐという措置をとる。

4か所ほどジャンパを飛ばす。

 

ジャンパして修理。

 

さて、この状態で電源を投入し、オシロスコープで偏向ヨークのワイヤをプロービングする。

組みなおす前に波形を確認しておかないと、貴重で変えの効かないCRTを破壊する可能性があるから

うん、しっかりと垂直走査の鋸歯状波が確認できた。よしよし。

 

 

電子ビューファインダ修理完了。

 

CRTを接続して動作確認。

うん、ちゃんと像が出ている。

 

次に、ビデオカメラ本体の修理に取り掛かる。

 

 

症状は、ビデオ信号が出力されないこと、ビューファインダーに映る像がやたら白いこと、である。

電子ビューファインダに像が映っている以上、撮像管が壊れていることは無いと判断。(劣化はあるかもしれないけど)

 

分解したカラービデオカメラ CZ-C600。

 

とりあえずビデオ信号の復活を試みる。

パターンをたどっていくと、いくつかのはんだクラックと、半固定抵抗のオープン故障を発見した。

それぞれジャンパと部品交換で対処。

この時点で、映像信号は復活した。

 

COMBOYに映像を送り、Windows PCのフォトアプリ上にオーバーレイしてみる。

うーん、やっぱり白い…。

あと、色がない。

さらに調査を進める。

 

うつくしい撮像管。

 

完全にバラバラにする。

これはこの時代のビデオカメラのコアとなる撮像管。

簡単に言えば、ブラウン管の逆の動作をするもの。

像面にレンズで集光し結像した像を当て、その状態で電子ビームを偏向ヨークの磁力で走査し、電子ビームと光電変換面 (ターゲット電極) の間に流れる電流の変化を読み取ることで画像を電気信号に変換する。

 

信号を読み取る部分は撮像管の下のシールドボックスに格納されている。

入射する光の変化に対するターゲット電圧の変化は非常に小さい。

アンプでかなりの倍率に増幅するため、ノイズがのってしまっては映像が乱れてしまうから、ノイズにはかなり配慮されているのだ。

 

撮像管前のローパスフィルタ。

 

像が白くなる原因はこれ。

撮像管の前に配置されている赤外線除去用のローパスフィルタ、つまりNFガラスフィルタが、白く曇ってしまっている。

現代でもカメラに使用されているこのローパスフィルタ。

素材はフツリン酸塩ガラスというもので、経年劣化と加水により表面にフッ素塩系の結晶が積り、表面を曇らせてしまう。

 

 

対処はレンズの曇り修理と同じく、とにかく研磨。

研磨剤は2000番からはじめ、3000番, 4000番…と進めていく。

非常に忍耐と根気の要る作業。

油断すると、表面の形状が変わってしまい、結像に悪影響が出かねない。

 

研磨作業中のローパスフィルタ。

 

研磨後のローパスフィルタ。

 

1時間ほど磨き続けた。

表面の白色層は消え去り、輝きを取り戻した。

 

組みなおす。

ほぼすべて分解したので、戻すのにも時間がかかる。

 

 

 

youtu.be

 

 

頭痛。

最近、頭痛と倦怠感がすごい。

時期的に低気圧のせいなのだろうと思うが、変なウイルスなど疑ってしまう部分もある。

 

お仕事も、一気にタスク量が増えてきた感じ。

暇よりは良いが、割とおしくらまんじゅうになってきてる。

 

神田祭秋葉原にて (昨日だけど)

 

 

依頼により絶賛修理中のカセットデッキ

 

あまりにも豪快なしゃぶしゃぶ。友人らと

 

今日のゲーム。

 

原神イベント 「黄金に輝く、不思議な薬剤」にて


うーん…

セノくんそのお薬本当に大丈夫なやつ…??

まぁたしかに、現実でもお仕事のためのブースト剤として合法な国もあるけどさぁ…。

 

 

ここ数週間、タスクに追われて教習所に通えてないのが心配である。

めんどうくさいタスクだし、さっさと済ませたいところ。

短期集中でパパっと進めてしまう期間を用意するのもよいかもしれないが、それも他のタスクと要相談だ…。

 

疲れたし、寝よう。

おやすみ。

酔えない業と、星の定理を飲む。

今日は、久しぶりに作業をお休みにした。

友人から飲みに誘われて、東京へ繰り出してきたのだ。

最近ずっと、このあたりを周回している気がする。

カメラもレンズもアップグレードしたから、余計に歩くのが楽しくなっているのが大きいだろう。

 

 

まず、友人と合流したら渋谷周辺を散策。

「色や構図」に興味があるということで、何かの経験になればなと、僕の一眼レフ Nikon D5500を貸した。

レンズはAF-S Nikkor 18-55 f3.5-5.6 G VR II。

マニュアル設定で渡すのは酷だと判断したので、プログラムオート状態で。

 

なぜかKenkoの双眼鏡を持ってきた友人。

 

レンズの反射っていいよね、というお話になったときに撮影した写真。

コート由来の散乱とハイライトは、なんとなく、おぉ…となるものがある。

 

構図を練る。「つるとんたん」にて。

 

うどん屋さんの「つるとんたん」へ入店。

とてもおしゃれな内装。

お客さんもどこか着飾っているようなよそおいである。

自分が適当な服装なもので、なんだか少し恥ずかしくなってきた。

 

店内にはビンテージ系オブジェクトなど。

店内スピーカはEclipse TD。

 

なるほど、店内BGMを再生するスピーカはEclipse TD、通称「黒たまご」であった。

わかってるね。

 

白桃ハイ。

撮影の裏側。

 

よくできた構図の写真の裏には秘密があるのだ。

これで二人ともしばらく笑いが止まらなかった。

俗にいう、「即落ち2コマ」感があまりにもすごくて…。

 

しかしこの白桃ハイ、おいしい。

底にドロっとした果実ペーストが沈殿するタイプのお酒。

 

 

友人は酔うと黙るタイプらしい。

結構周りに多いタイプなんだよね。

僕は、ほとんど変わらない。

躁鬱の方が、テンションとしての変化の要因としては断然大きいというのもあるだろう。

 

きつねうどん。焼きもちトッピング。

 

つるとんたんのうどんはとにかく大きい。

洗面器か、というほどの大きさの器に入ってくるのだ。

よくわからない組み合わせと言われるであろうが、自分が食べたいものを食べる。

それは意地でも譲れないところ。

 

 

いい感じに話が弾んだところで、つるとんたんから撤退。

そして、プラネタリウムへと向かう。

 

プラネタリウム。演目「ケプラーの日記」

 

うん。

プラネタリウムは実は結構久しぶり。

昔、僕は天体とか、動植物とか、鉱物とかに興味津々であり、それが"僕"というすべてを形成する要素とすらいえるほどであった。

当時は熱心に研究をしていたものだ。

図書室で図鑑を漁るのは日常だったし、観察に出向いては動植物や天体のスケッチをとったり、標本を作製するなどもやっていた。

 

考えてみれば、そうゆう領域からもしばらく離れてしまっている。

社会で生きるために、「社会で生きる方法」を学ぶ必要を迫られてしまった、というのが大きいだろう。

僕は、今でこそ工学の人間と認知されているものの、もともとここまで工学中心の生活ではなかった。

多分、中学以前の友人と、高校以後の友人では、僕に対するイメージはガラっと変わっていることだろう。

 

プラネタリウムの上映を見終わり、また昔のように、悠々と、ただ静かに、自分の興味のまま学問を追求したいな、などと考えていた。

 

ツァイスIV型投影機。

旧式の投影機が展示されていた。

カールツァイス製のフル・メカニカルな投影機。

メカオタクにはたまらないであろう。

 

 

機械じかけの巨大な黒アリ。

 

建物の外からだと、余計にその巨体が引き立つ。

 

 

長時間露光のデモンストレーション用。

反射により生まれる"彩"。

 

車輪。

モンエナ缶を設置する友人。(本当は拾っています)

 

 

一通り街をさんぽし、今日は解散。

 

多忙を極め、なかなか実行できずにいた「休日らしい動き方」が、久しぶりに実現できた気がする。

こうゆうのは、"一緒に行動できるヒト"が居てこそ、そのハードルが下がることでやっと可能になるものである、とも思う。

 

 

Chat。

 

沼にはめてしまったかもしれない。

 

 

さて。明日は早朝からお仕事。

寝よう。

おやすみ。

 

ノイズの呼ぶ声を聴け。

さて。

 

今日は、お仕事で少し県をまたぐ移動。

まぁ、いつも大体県を跨ぐのだけど…。

やっている事柄的に、この分野のお仕事は東京で済むことはほとんどない。

絵を描くお仕事も、声を録るお仕事も、東京都内の案件が多いのだけど。

 

 

某所にて、とある製品から輻射するノイズを計測する作業をおこなった。

非常に地道な作業だ。

 

電波暗室と、僕。

 

条件を変えては測定。

条件を変えては測定。

条件を変えては測定…。

 

その声はそよ風に埋もれるほど小さい。

 

ただ淡々とその声に耳を傾ける。

 

 

お昼。

 

なぜだかお昼ご飯がでた。

試験場の出すごはん、結構レアな気がする。

 

 

…。

さて、もう帰る時刻。

8時間は測定していた。

荷物がとにかくおおい。

機材一式運搬しなきゃいけないものだから。

 

電磁波のドリル。

空を見ると、神秘的な光線がみえた。

思わず撮影。

 

 

しかし、明日は天気が良くないらしい。

友人と予定があるので少々残念。

 

 

まぁ、今日はこんなもんで。

おやすみ。