沈みゆく孤島より。

さて。

 

 

最近はオールドなビデオ周りの機材整理をしているわけで、今回もそのおはなし。

VHS-Cレコーダ。

 

National NV-200。

 

電源を入れると、10秒ほどで勝手に電源が切れてしまう。

電源スイッチにソレノイドが入っているタイプのようで、内部で保護が働いた結果、ソレノイドが勝手に電源スイッチを落としてしまうみたい。

 

なので、電源スイッチになにか詰め物をしておけば落ちることは無いのだが、ずっとカチカチとスイッチを落とそうとするソレノイドの嗚咽が響き渡り、うるさい。

そのため、一応内部を開けて観察してみた、という運び。

 

 

内部を観察していると、テープのローディングアームにずっと力がかかっている。

ローディング用モータを取り外してみると、ずっと一方向に回転し続けている。

ローディングアームはすでに限界まで移動しており、モータはストール状態になっている。

ここのメカは、モータはCW, CCWできないといけないはず。

とりあえず、DCモータドライバ周りを疑った。

 

構造は単純なNPN, PNPトランジスタを用いたHブリッジ。

回路をトレースしてみるも、トランジスタの不良もみられないし、ベース信号を外部から入力するとCW, CCW, ブレーキ動作もできている。

よって、モータドライバの故障ではない。

DCモータドライバ回路は、Hブリッジの片方のトランジスタが故障したりすると、一方向に回転する症状が見られることが多いのだ。

 

 

となれば、テープローディングアームの位置検出が正しく行われず、モータの動作に影響が出ていると考えた。

 

モードスイッチ(エンコーダ)。

 

ローディングアームの位置を検出するエンコーダ。

みるからに接点が汚れているし、一部のバネ接点は曲がっており、接触できる状態になっていなかった。

とりあえず、これを修理。

 

 

この状態でエンコーダを組みなおし、手でエンコーダを回すとモータがある位置で停止するようにはなった。

なったものの、逆転動作が行われない。

逆転しなければ、ローディング動作は行われない。

まだ別の場所が壊れているようだ。

 

 

フロント基板裏。

 

信号をトレースしていくと、エンコーダの信号線のうちひとつの配線が導通していないことが分かった。

エンコーダのコネクタの隣にある電解コンデンサがわずかに液漏れをおこしており、ビアが腐食してビア内断線を起こしていたのだ。

 

パターンを追跡し、本来導通していなければならない直近のピンにジャンパを施す。

 

 

よし。

ローディングアームの挙動は正常になった。

 

が、ドラムまでしっかりとテープが送られているように見えるものの、勝手にアンロードされてしまう現象に直面した。

うーん…。

ロードの挙動に変な点は見つけられないけど…。

 

テープのロード判定用のなにかしらのセンサが不調なのか、はたまたエンコーダが微妙にずれていて、ローディングアームが目的地に到達したと判定できていないのか…。

色々とエンコーダの位置を変えてトライし続けたものの、機構として動作する、おそらく正しい一点でも勝手にアンロードされてしまう。

 

さすがに時間を溶かしすぎてむなしくなったので、これの修理はあきらめかな。

ただでさえかたくとめられたネジを付けたり外したりを繰り返して調整を行うため、手がパンパンだ。

 

コストリターンが見合わないため、テープでの記録は諦めて、ビデオ信号をSDカードかなにかに保存するシステムでも起こしたほうがおそらく早い。

NTSCデコーダはどうしようかとか、SoCは何を使おうかとか、もう考え始めてしまった。

気が向いたら、つくろうかな…。

 

実は、あれこれいじっているうちに基板内部でテスタのプローブでショートさせてしまい、専用電源を壊してしまった。

ヒューズを交換してみるものの、電源を投入するとすぐに飛ぶ。

あぁ…。これはパワーデバイスが逝ったか。

結構、動作状態で出回りにくいレアな電源なんだけどな…。

ずっと悲しかった。

すごく死にたくなった。

なんで自分ではなく、この電源が死ななければならないのか、ずっと考えていた。

まぁ、レコーダ自体はバッテリー駆動可能なものなので、バッテリーハウスにXT-30のコネクタを生やして、手元にあるLiPoバッテリーを接続可能なように改造してみた。

しっかり使える。

電圧監視用の表示器でも乗せないと運用上危険なので、それをやってから色々遊ぶとしよう。

こうゆう特殊な趣味は、"遊び"を開始するまでの事前準備で十分に疲弊してしまう。

 

 

ふぅ。

夜ごはんの時間だ。

 

 

餃子定食。

 

近所の中華料理屋さんでおなかを満たす。

餃子、おいしいな。

ここ、一応タンメンがおいしいといわれているお店なのだけど、個人的には餃子が一番おいしいと思っている。

 

TVに目をやる。

なるほど、G7広島サミットね。

 

しかし、この出来事によって、一部国民の間で、某総理への株が急上昇しているようだが、あまりにも稚拙と言わざるを得ない。

そもそも、このような類のセレモニーは政治的な意味しか内包していない。

ここでいう政治的とは、各々の関係において、利益と共感を商材としてやり取りするような状態、場面をいう。

表に出ているもの、特にTVや新聞など、大手企業がスポンサーになっているような媒体では、その内容自体が権威の"シナリオ"に過ぎず、プロパガンダという他ない。

悪の組織だって、「これから悪いことをしますよ」とは言うわけがないのだ。

 

日本政府が過去に行ってきた詐欺師のようなふるまいを一切無視し、唯々一度の外交のみで信用どうのこうのと囃し立てる様は、見ていて実に気持ち悪いと感じる。

このような国民のしぐさの本質は、情報網の固定化と、個々の固定観念の増大に起因する"自分軸の消滅現象"だ。

大きいものに巻かれるのがケースにより悪とは言い切れないものの、自分の深層に抱えておくべき信念など無く、ただ流行りや"見えているもの"に同調する民衆。

表向きと裏の概念が頭の中からすっぽり抜け落ちているのが、バブル崩壊後の日本人の、本人すらも気付くことができない国民性だと感じる。

あれほど雑な政治を行われてもなお、「いやでも前より良くなったし~」みたいな言説で支持を固めている一部の層は、もはやカルトに巻かれているとしか捉える余地はないのだろう。

国民が疑うことを知らなくなった国の末路。

それは、まさに今G7広島サミットにて、悪と定義する国のたどった軌跡ではないのか。

 

 

この感覚は、すでに中国戦国時代の思想家、法家の代表的人物である、韓非(Han Fei) がその自伝、「韓非子」で次のように語っている。(多分ゲーム 「原神」のキャラ 煙緋のモチーフ?)

 

「流行り廃りに乗りやすく、自分の軸を持っていないヒトというものは、周囲がYESと言えばYESに意見を変え、NOと言えばNOに意見を変える。

よって、そのような人物は自分(一人称)が観測不可能な所にいれば平気で意見を変えているであろうし、他人には顔色を変えて対応をしているであろうし、また誰か個人に、もしくは事象において、"絶対的な信頼"を持てない人物である可能性がおおいにあるわけである。

そのようなヒトは、短いスパンで考えて信用するのは問題ないものの、長いスパンで考えたときに、大きな力をもった集団…つまり社会などの表面上多数の意見次第で簡単に自分を裏切る可能性を内包しているといえるわけだ。

そのような人物を信用するのは果たして合理的なのかと言われれば、おそらくそうではないであろう。」

 

僕はそのような人物は、話し方や話題の持って行き方などである程度見分けを付けられるため、"敵"とみなし、深くは関わろうとは思わない。

無論、本人にそのことを伝え、邪険にするのは得策ではないから、やんわりと対応するに留めるのだが。

 

しかし、自分の意志を持つことがそれほど難しい時代になってしまったのか。

正直理解に苦しむところがあるが、いつの時代も、自分軸を持てない人間に共通するのは、「臆病であること」のように思える。

自分が間違うことに恐怖しているから、大きいものに巻かれようと、流れに乗ってれば問題ないと、そうゆう判断をするのであろう。

そのような意志の示し方は、果たして本当に意味のあるものなのだろうか。

個人的には、結果的に自分の首を絞めているようにしか捉えられないのだが。

それで平和だと感じれるほど、能天気なのもまた問題であろう。

過度な性善説は思考を腐らせる。

それこそ、そのような人種は、巨大な"詐欺師"のターゲットに、今まさになっている最中なのではなかろうか。

 

 

僕は自分が、また周囲のヒトが生きやすい社会になることを願って色々な事を考え、苦悩してきた人生であった。

もう少し、すべて個人が本来の意味の"考え"を持つようになれば、悪も口笛を吹きながら跋扈できぬ時代が到来すると信じている。(いや、昔はそうだったと言われている。よい意味で、個人個人が自分の色を持ち、邪な視線すらも入る余地を与えなかった。)

…だが、そのような動きすらも"日本人には向いていない"と言われる国民性になるまで落ちぶれてしまったのだな、と感じる今日この頃。

 

日本が原爆投下で学んだことはそれほど軽い事なのだろうか?

爆弾が落とされなければ平和と言えるほど、我々は困窮した民族なのか?

確かに、今回の外交を否定することは僕には出来ないものの、政治とは、外交と内政のセットで考えるものだ。

外ツラだけ良ければ国民は満足なのだろうか…。

あまりにも浅はかだ。

 

日頃からこうゆうことを考えていると、頭が痛くなってくる。

さて、明日もまた、自分にとって意味のある行動ができるように願う。

おやすみ。