Techno Girl.

今日は久しぶりにしっかりとした休日。

 

というわけで、朝早くから新宿某所のレコーディングスタジオへ。

仕事としてではなく、ただ顔を出すくらいの感覚でこうしてフラっと立ち寄ることもある。

何かしなくてはならない、という強迫観念が払拭できる時間は良い。

 

 

 

今日はブースは空いているようで、スタジオの人と雑談したり、合間にレコーディングを進めたり。

 

先月、千葉県某所のチャペルでレコーディングしたストリングス以外のソロバイオリンとシンセ系、ヴォーカルを録る。

Roland R-8やIMLのベースなどは自宅で直前に録っていた。

 

 

今回の曲は、哀れな2SC1815のお話。

 

マシンの端にただ配置されるのみであり、利用されることのなかった「2SC1815」というトランジスタの俯瞰的視点を語る。
このトランジスタは基板上に実装されたものの、ここに信号が渡るような機能は結局利用されることはなく、ただそこに存在し、未練のように信号の到来を待ちわびている。

また、現在の日本の過度な少子化への危機意識、それに追随する無理矢理な対策に対するアンチテーゼ、というダブルミーニングである。
数多の不足を抱えている現代社会において、少子化を過剰に騒ぎ立て、ただそこに産み落とされるのみの量産される生命の意志は、果たして尊重されているのだろうか。

 

soundcloud.com

 

mimemo.io

Electronic Transition。

さて。

 

今日は午前中にいくつかの配達を受け、

 

また、大荷物の大移動と自室の掃除を進める。

 

プロジェクトにおいて、急遽エリアが必要になったため、拡張工事を行ったのだ。

 

 

 

午後、先日、当日記にも記載した、ZONEと原神のコラボ商品を探しに、イオンへと向かった。

 

近所にはイオンがほとんどない。

いや、イオン系列の店舗は多いと言えるほどあるのであるが、今回のコラボで対象となる店舗が無いのである。

 

自転車にて、かなり遠出を決行する。

 

 

まずは一件目。

 

一件目。

 

ふむ。

当コラボは4種類のキャラクターデザインの商品があるのだが、ここでは2種類しか残っていなかった。

店員さんへ訪ねた所、午前中にほとんど買われていったとのこと。

さすがに人気コンテンツはコラボ商品の消化がはやい。

初日に調達へ向かっていて正解だった。

 

2件目。

もはやひとつもなし。

売り切れの模様。

 

次、3件目。

 

3件目。

 

赤が居た。

ラスト1箱を寸前で確保。

だが、青が居ない。

4件目へ急ぐ。

 

4件目。

 

うん、居た。

 

コレでフルコンプリート。

いや、県を跨ぐことになるとは思わなかったが。

まぁ、いい運動になったと、良い方向に捉えておこう。

 

 

帰宅。

さすがに体が痛い。

 

さっそく、開封

 

開封

 

今回のコラボ内容は、原神オリジナルタオルが同梱されていること、原神オリジナルデザインの箱、そしてコラボQUOカードが当たる抽選参加券である。

抽選参加券は、4種類フルコンプリートしていないと応募できない模様。

以降調達勢は、夜蘭(青)のゲットが課題か。

 

とはいえ、QUOカードが当たっても勿体なくて使えない気がする。

 

 

これでしばらくはエナジードリンクには困らないであろう。

 

もはや、カフェインも恒常的に摂取しすぎて効きにくくなってしまったが。

 

 

それでは。

FrontGATEの虎、BackGATEの狼。

さて。

 

本日は久しく通うことができなかった教習へ。

 

1.5ヶ月のブランクからの、実技の試験。

 

これだから、学生のうちにとっておきたかったのだ。

 

このような長期にわたり纏わりつくタスクは、さっさと片づけるに限るのだけど。

 

なんとか一発で合格。

 

案外、体も覚えているものである。

しかし、次回が1週間後か…。

もっと詰め込みたいのだが。

 

性格上、お仕事の連絡などが入ってしまうと、一日そのことが気になってしまい、時間がつくれなくなる。

脳内においてペンディングされていたはずの"思考デバイス"が、メイン処理のバスに接続されると、簡単に切断することができない。

 

どうしたものか。

同時に色々と抱えてしまうとこれが厄介。

毎時毎時にできることなど所詮限られているから、それぞれの作業量・思考量を減らして辻褄を合わせるしかない。

寝ている時間とは本当に無駄なものである。

 

 

久しぶりにお絵描きをした。

正確には、"趣味のお絵描き"だが。

とあるサービスの自分のアイコンを変えたくなって、急遽1:1のイラスト描こうとなった。

本当に、急に。

 

おてぃなり

うん、かわいい。

後ろの金具類はめんどくさい割に構図を崩すので外していただいた。

 

実は、もう一枚おてぃなりくんのイラストが制作途中のやつがあるのだが、そちらは3回も4回も線画をやりなおしてもなんとなくしっくりこず、破棄するかもしれない。

こうゆう時は、大抵構図や状況設定に気づきにくい問題…というより自分の頭の中で容易に呑下できない部分がある場合が多く、前提からひっくり返して1から描きなおした方が早かったりする。

 

地道に進めていくしかない。

なにもかも。

 

あ、そういえば、明日からエナジードリンクZONEと原神のコラボが開始。

というわけで、午前中時間があれば実家付近のイオンへ走ることにしている。

近所にイオンは無いのだ…。

 

zone-energy.jp

 

それでは。

アルミ製の共鳴空洞。

さて。

 

今日もお仕事の作業を進める。

 

そろそろ教習に行きたいところである。

 

せっかく昼間は休憩時間がとれたというのに、教習所の予約は空いていない。

 

運に敗北する。

 

 

何もしないのも癪なので、ギターの弦を張り替える作業を行った。

スタジオに置いておいたものだが、メンテナンスのために久々に家に持ち帰ってくる。

 

 

GBXL-5に張り替えた。

 

試奏は荒瀧一斗OSTで。

ちょうど部屋のBGMとして流れていたのでそのまま採用。

 

www.youtube.com

 

ハイの伸びが増した感じ。

 

問題は、トレモロアームをスタジオに忘れてきたこと。

家ではほぼ弾かないだろうし、すぐスタジオに戻すから大問題ではないのではあるが。

 

 

今笑うヒト。

さて。

 

今日も作業を進める。

 

一枚の通知が届いていることに気づく。

取引価格改定のお願い。

はぁ。

これを見るのももう今年で3回目。

本来受け取ることができたはずの4割の報酬はどこの次元へ。

こんなの、現政権の支持者が支払うのが筋というものではないだろうか。

これを民主主義と言い張りたいのならば、「民」の定義をいっそ変えてはいかがだろうか。

ふ。

 

 

今日は出先でレコーディングだったので、次いでに「身勝手収録」も済ませてきた。

スタジオの掃除に付き合わされたのだ。

報酬として当然だろう。

(実際にはご厚意で割と自由にお借りさせていただいています。)

 

久しぶりに、テスラコイルを持ち出す。

 

soundcloud.com

 

mimemo.io

 

 

さてさて。

今後はどうなることやら。

 

[追記]

オケ追加

soundcloud.com

孤独か、享受か。

さて。

 

いつものように、社会を生きるための作業を進める日々。

感情を伴わない、存在することのない庭園を歩むステップ。

 

 

マシン油の快楽を得た観葉植物に目をやると、そこにはひとつの回転体炭素系生物の姿。

 

Marasmius Oreades

 

最近の湿度の高さにより根腐れを起こした植物の根に、寄り添うように傘を広げているその姿。

なるほど。

キミは得たか。

回転体炭素系生物は語りかける。

荒んでも、キミはまだキミ。と。

 

 

僕は、物質的にも精神的にも一生の孤独を約束されている。

そのようにスコアリングされ、人生を謳歌しようとすれば忽ち世の避暑地と言えよう温いパーティが目の前から忽然と姿を消し、「それでは。」とメタなグルーヴの空から降る電磁波から身を隠せば、そこには"自由"の二文字は投影されない。

 

今はまだよい。

微かにでも社会関係というものを感じ取ることができる。

だが周囲は各々知能を持っている存在。

いずれそれぞれの選ぶ道に、己の執念に従い、振り返らず移動を開始するだろう。

 

突如としてSTATUS ACKを返さなくなる者。

社会の定めた腐った約束手形に敗北し、その胸に墓守を得る者。

近々アユタヤを出発予定のLOTUS号に搭乗し、舷窓から僕を見るよと誓う者。

 

それらに僕という存在は捨てられ、裏切られ、そうして時間とともに「僕」という製品が完成されていくことが、約束されている。

…いや、それらを「敵」と認定し、己から遠ざけるような形態を持つ自分という種の道に抗うことはできない、と言う方がおそらく正しい。

 

社会は僕を「バカ」と呼ぶだろう。

 

 

さて。ゲームのお話へ。

 

宵宮伝説任務。

 

やはり、僕がゲームに強く求めているのは音楽と世界設定、映像の親和だ。

このゲームの音楽を聴いていると、僕が音楽という世界に入った理由を思い出させてくれるような感覚に陥る。

 

ここからは僕のつまらぬたわごとだと思ってもらって構わない。

 

「音で表現する」ことの基本的な意味を理解していないヒトは案外多い。

最近ではネットが十分に発達し、民衆の隅々まで簡単に情報が行き渡るようになった。

それ故、芸術というものの概念を大きく変動させたのがネットという存在なのもまた事実。

音楽理論という大きくまた忌々しい権威が、間違った形で民衆の隅々まで滞りなく配達され、まるで教科書を読んでいるかの如くまたそれを民衆も受け入れている。

 

芸術を型にはめるな。とは、言うのは簡単である。

ではそれを確たる"感覚"として得られる場面を、僕なりにいくつか列挙しよう。

 

最近はVOCALOIDが一般に広く使用されるようになった。

これは革新的な技術ではあり、新しい音楽のジャンルを作り上げた、日本の誇るべき技術である。

しかし、それと同時に、音楽の"クラシック化"を加速させてしまった。

VOCALOIDというものはヒトの限界を超えることが可能なツールである。

それ故に、"音楽理論にのっとった音楽の限界"を超えるツールとしての誤用(よく言えば新しい文化)が普遍的用法となった。

言い換えれば、キテレツな旋律、キテレツな歌詞、そうゆうものを乱用しなければ、「音楽」として見られもしないようなリスナー領域を作り上げ、生態系を大きく変貌させてしまった。

音楽の"内容"を見られることが少なくなってしまった。

これは古くから作曲者ならではのエゴではあるものの、僕はそこから、"音楽の敗北"を身に感じることになる。

 

先述したとおり、「音で表現する」ということの絶対的正解はこの世に存在しないと思っている。

だがしかし、現状のこの音楽理論の過信と奇抜な表現のブームは、音楽を音遊びでもない、「ふんわりとした何か」に変えてしまった。

そこにゴールが設定されていないのだ。

作曲者自身から、脳内の情景というもののアウトプットが薄くなり、今消えようとしている。

(無論、すべてに当てはまるわけではない。しかし、濃度が増していると感じる。)

 

それは別の視点でも感じることができる。

音楽理論の過信とネットから得る「成功体験」の安売りにより、作曲方法の固定化が生じている。

例えば、"コードからメロディをつくろう"という「方法」は今やネット上に蔓延り、それしかしらない世代すらも登場している。

(個人的な話。仕事では、人材育成において、そこの矯正にはかなり労力を要するのだ。)

彼らの作った音楽は確かに音楽であるし、個々のセンスを評価する権利も僕にはないが、「コードから起こしたメロディ」というのは案外簡単に見抜くことができるのだ。

単調な場合もあるし、またはメロディラインに無理やり動きを付けようとしていたり、またブルーノートなども無理やり混ぜ込んでみたりして、無駄にジャジーになっていたりする。

ようは己のしる技術を詰め込むオナニーと化している。

そして、モチーフはなにかと訪ねても、本人すらも中身が無いことに聞かれて初めて気付く。

音楽が、表現手段ではなく、「一音一音を気持ちよく調整する作業」と化しているのだ。

ただいたずらにコードを動かしまくったり、キーを変えまくったり。

表現としては枯れたものであるし、素晴らしい。

ジャンルによっても、そうでなくては、というものも存在するのは事実である。

ただ、これは意図的に敷いたノートかと言われれば、答えらえるヒトは少なくなっているだろう。

まるで、資料を作っているかのようなのだ。

 

 

僕は、8歳だか9歳だかで現状の持っている"音"に表現の限界を感じ、初めてソフトウェア音源を購入した。

新鮮な経験だったことを今でも覚えている。

当時、作曲機材として使用していたのはRoland SC-88Pro, SC-D70, Yamaha MU80などハードウェアが多かったのだ。

PCもディスプレイ一体型のCPUはCore2かなにかのPCで、プラグインを自由に挿せるほど計算リソースがある時代ではなかった。

今ではそのソフトウェア音源にすら限界を感じ、生録を多用するようになった。

音の調和にばかり気をとられがちな近代作曲家であるが、リズム、音色…それらすべても音楽を構成する大切な要素であると強く思う。

さらには、そこに含まれる人間らしさ、ランダム性や不完全さすらも、聴感上「デジタル」を感じさせないよう適度に混ぜ込むというのが僕の信念である。

だからこそ、VOCALOIDというものを受け付けない部分があるし、またDAWに時間ドメインでスナップされた完璧な発音のノートを気持ち悪いと感じる部分がある。

 

小学生時代、オリジナル楽曲のコンテストに提出して最優秀賞をもらった曲をひとつ貼っておこう。

とはいっても、当時の音源は手元に残っておらず(実家には演奏ビデオがあるかもしれない)、リメイクだが。

soundcloud.com

世界観を表現するのは、無理やりに詰め込んだノートであるべきではなく、音色と、ノートの遷移(微分量)と、リズムである。

 

 

情景を思い浮かべると"音楽"が降ってくるというのは、産まれ持ってのみ得ることができる才能ではないと思っている。

(個人的な話。寝ようと布団に入ってしばらくすると脳内に"音楽"が生成され、ガバッと立ち上がりPCの電源を入れ、DAWを立ち上げ徹夜コース…という経験をしたことのある類のヒトは、おそらく仲間になれる。)

これは、一番形容として近しい言葉を借りれば"センス"であり、それは経験により磨くことができるはずなのである。

自分に十分センスがあるとは思っていない。

現在進行形の、日常こそが研磨の作業なのである。

そのような経験をすべてスキップし、理論に敗北したアーティストの行く先は、時代の流れとともに来るそれが是よという声に後押しされるか、はたまたヒトの知恵の解像度が本来あるべき量に修正され、「そのような時代もあった」と消え去るかは、今は誰も知る由はない。

いずれにせよ、誰かが死ななければならない。

 

 

話が膨らんだが、僕は原神に限らずゲーム音楽というものに、そのような個人的な信念に忠実な何かを感じ取ることができるから、好きなのである。

当たり前と言えば、当たり前である。

必ずモチーフや情景や映像があり、それとマッチした音楽でなければ意味がないし、それを作ることができなければお仕事にならないのである。

 

 

 

上記のようなことを、原神の大きめな任務をやるたびに考えてしまう。

そして、自分の原点を思い出させ、同時に僕の腐った現状をより強く認識させ、涙が止まらなくなる。

このようなものが創りたかったのだと、それが世界に誕生したことがうれしいような、なんだか悔しいような。

大きな世界には大きな感情を動かす作用がある。

だがしかし、大きな世界を創造するのには、僕ひとりぽっちの力では限界があるのもまた痛いほど知っている。

 

一度きりの人生。

自分がやりたいことは何か。

今、やりたいことはできているのか。

やるためには何をすべきなのか。

あきらめなければならないものは何か。

そうゆうことを、考えぬときはない。

 

 

人生、そう簡単にやりたいことができるよう、うまくはできていないものだな。

訳が分からなくなってくる。

 

もうねよう。

おやすみ。