一度あることはニグレド。
さて。
今日もお仕事の作業を進める。
あっちのタスクも、こっちのタスクも。
ただ淡々と、鉱山を掘り進めていくかの如く。
本日は、また時代に置いて行かれた産物のお話。
またもや撮像管カメラの修理を。
これは、そもそも撮影できないという症状。
電子ビューファインダーユニットを接続しても、像が映し出されない。
動かない原因はすぐにわかった
起動時、あのキーンという昇圧トランスから鳴る磁励音が聞こえないことから。
これは撮像管の電源が壊れている、と判断した。
撮像管のソケットに、オシロスコープのプローブを接近させ、各グリッド用の高電圧が発生しているか確かめる。
最初からテスターを当てると、仮に正常に高電圧が発生していた場合、テスターを壊してしまうからだ。
オシロスコープのプローブを接触させずに接近させれば、電位上昇から非接触で高電圧が発生しているかを確かめることができる。
プローブを接触させなければ、オシロスコープが壊れることも無い。
プローブを接近させてもなお、電位は上昇せず。
高電圧は生じていないと判断し、この段階でやっとテスターを当てる。
高電圧は生じていなかった。
高電圧を作り出す部分は大量のノイズを輻射するため、ステンレスのシールドで覆われている。
このシールドは基板に厚かましくはんだ付けされているもすべて取り外し、内部を確認する。
結果的に、いくつかのコンデンサの容量抜け、さらにパターンの断線箇所を発見した。
部品交換とジャンパにより修理。
無事修理完了。
郷愁駆られる像を得るための、その手順1。
レコーダに接続してPC上にオーバーレイもできた。
先日修理したVZ-C600よりもこちらの方が色が綺麗だろうか。
まぁ、僕の調整のせい、という要因の方が大きいかもしれない。
撮像管カメラの調整は大変なのだ。
今のカメラのように、単純にRGBやらコントラストやら露出やらを調整すればよいというものではない。
撮像管の原理上、偏向ヨークの走査縦横幅、縦横位置から、フォーカシンググリッドの電圧まで、調整可能なすべてが「色に作用する」のだ。
基板上には20以上の半固定抵抗があり、それらすべてを微調整していく。
少しでも縦横比や位置、電子ビームフォーカスが狂うと、像はたちまち紫一色とか、緑一色とか、または全く映らないという状態になる。
また、内部はRGB信号ではなくチューナ回路によりmixされた色相信号である。
赤と青はまだ調整しやすいのだが、緑に関してはそう簡単にはいかない。
他のパラメータと赤・青の調整がぴったりあって、ようやっと満足のいく緑が出る。
原理を理解し、またノウハウがなければ、調整すらできないであろう怪奇な装置なのである。
青も黄色も、この時代のビデオカメラにしてはよく出ている方だと思う。
画面の端が緑になるのは、原理上仕方がない現象である。
この画質、今のカメラでは当然出せないし、モダンなオーサリングソフトでエフェクトをかけても、これを完璧に再現することはできない。
これを通すと、なんでも懐かしい画になってしまう。不思議だ。
さて、作業も終了して、ゲームの時間。
最近はゲームに触れられない日々も増えてきた。
夜になるともう疲れ果ててしまってダメなのだ。
もう3週間ちかく教習所に行けてないな、とか、考えてしまうと気分が落ち込んでしまう。
いや、できることからやっていくしかないのだが…。
割り込みタスクが多くて、このままではダメな気がする。
なにか策を考えなければ…。
学科、もうなにも覚えていないや。
さすがに期間が空きすぎだ。
復習してから挑まないと…。
どうにかしてまとまった時間を確保する必要があると思う。
こんな感じで、生きていると、常に憂鬱でつらい。
生きるのをやめれば、そこには憂鬱のない世界が待っているのだろうか。
観測不可能な次元への好奇心は止められない。
さて、
おやすみ。