ナナニッパで出陣。

さて。

 

先日修理を行ったナナニッパ。

ようやっと心置きなくワイド側までピントリングを回せるようになったので、

街に持ち出してみた。

 

草間彌生モチーフのショーウィンドウ。

忌まわしき曇天。

サツキツツジ。これはナナニッパではなくMicro Nikkor 55mm f3.5で。

原宿のアパレルショップ。

竹下通り、ストリートサイネージに映し出される僕。

KAWAIのピアノ。

今まさに大地に投身する雫。

俗世のノイズ。

先頭をゆくLEDの軍事パレード。

ドバトさん。

ドバトさん2。

ドバトさん3。

ドバトさん4。

ドバトさん5。

ドバトさん6。

 

雨でびしょぬれ。

撮影するので傘はさせない。

帰宅したころ、鏡をみるとそこには髪がぴょんぴょん跳ねた人影…。

 

今日は500枚程度撮影。

しかし、ヒトの顔が写っている写真をこうゆうところに上げるのは悩む。

一応、法律上は執拗な追っかけとか明らかな迷惑が無ければ問題ないことにはなっているものの、やはり個人的には一歩とどまってしまう。

肖像権なんだかんだとうるさくなってきた昨今、カメラを担いで街に繰り出すのも肩身は狭くなっているのだろうな、と感じる。

 

今日はそれ以外とくになし。

写真を並べただけだね。

 

まぁ、明日は少し朝早いので、さっさと寝てしまう。

 

では、

おやすみ。

ピザとナナニッパ。

今日は待ちに待った原神とピザハットのコラボ初日。

早速、目が覚めたら注文を入れる。

すぐに届いた。

近所には宅配ピザのチェーン店が密集している。

 

ピザハット 原神コラボ MY BOX

マルゲリータと、ほっくりポテマヨソーセージ。

 

うん。

宅配ピザは安定しておいしいね。

特に、ほっくりポテマヨソーセージ、クセになるおいしさ。

まぁ、炭水化物なポテトに脂質と卵なマヨネーズ、さらにジャンキーなソーセージが合わさって、マズいわけがない。

特製の描き下ろしボックスは、天日で乾燥させて保存する。

オタク心が爆発している。

ポテトとナゲットの油がしみ込んでしまっているのが残念。

 

コラボ特典、原神マルチファイル。

 

特典のマルチファイルは、凝光と夜蘭。

この特典はこの2種類しかないので、コンプリート。

全部夜蘭とかじゃなくてよかった…(笑)

アルミフィルムから開封するとき、2連続で夜蘭出てきたときは、もしや…と思ったけど。

ところでこの二人、ピザなんて食べ物から一番遠い存在な気がするんだけど…。

原神は、日本だとこうゆう大手企業との公式コラボが中国に比べて少ないから、コラボの機会は貴重なのだ。

 

食後のお紅茶。

ピザを食べた後は、友人が誕生日プレゼントに送ってくれた、よい和紅茶をいただく。

ジャンクな食べ物を食べた後、お紅茶は案外さっぱりしていて悪くないから。

まぁ、和紅茶のカップリングにはやはりレモンケーキとか、モンブランとか、マドレーヌとか、そのあたりのスイーツが一番合うんだけどね。

 

 

しばらくお仕事の作業を進めた後、夜に友人に誘われて新宿を散策しに。

 

お買い上げ。

あぁ…またやってしまった。

レンズを買ってしまったのだ。

何時か買おうと思っていたナナニッパ。

これ、状態の割に安かったので、この機に購入。

 

D850に装着した状態のナナニッパ。

うーん、ゴツい…!重い…!

でもこれがあれば、暗い場所や夜間であっても、f2.8通しで明るく撮影ができる。

良いレンズは重くて大きいのだ。

VR(レンズ内手振れ補正)もついているし、SWM(超音波モータ)による高速なAFもついている、ハイエンドなレンズである。

 

試写。新宿の景色。

試写。東京モード学園 コクーンタワー。

等倍鑑賞。

 

うわ…なんだこれ。

とにかくカッチリと映る。

f2.8でこれかぁ…。

等倍鑑賞すると、コクーンタワーの窓の格子すらも見えてしまう。

このシャープさは、Nikkorレンズの強みであろう。

あと、ここまでうまく合焦してブレもなければ、僕も高解像度機を十分使いこなせている証明にもなるだろう。

よかったよかった。

 

…が。

 

このレンズも所詮は中古。

商品説明にはなかった問題点が発覚した。

 

ピントリングをワイド側にいっぱい回すと、内部でなにかが引っかかってしまい、ピント調整が効かなくなってしまう。

現場ではなんとか友人の力も借りてガチャガチャやっていたら引っかかりがとれて動くようになったが、これはいけない。

 

 

レンズ分解。

というわけで、帰宅したら早速分解して修理。

中古レンズの宿命か。

でも、今までこうやって安く訳アリ品を買ってきては直して使っている。

もう慣れたものだ。

修理する技能があれば、周りよりも安く機材を買い漁れる。

これは僕なりの特権であろうと思う。

 

レンズ分解2。

 

分解を進めていく。

Nikkorレンズは、おおよそどれも構造が同じなので、比較的分解しやすい。

また、Canonなどのレンズと違い、レンズの位置が無理やり固定されるような構造になっているため、バラしても調整が崩れにくい。

Nikkor、本当によくできたレンズなのである。

 

作業。

ピントリング位置検出用アブソリュートエンコーダ基板。

 

原因はすぐにわかった。

ピントリングとピント調節用レンズ群の位置を検出しているアブソリュートエンコーダの基板が、経年劣化で反っており、ピントリングと干渉し始めているのである。

ワイド側いっぱいに回すと、この基板とピントリングの摩擦が最大になる点が発生し、そこから内部のレンズ群が回らなくなるのである。

 

この基板、レンズに接着されているだけなので、この形状では繰り返される熱ストレスにより熱膨張率の差から、歪が蓄積していく。

だんだんと円弧が広がっていくイメージだ。

そして、いつかは外側に位置するピントリングに接触し、回転を邪魔する。

なるほど。そうゆう症状もあるのね。

勉強になった。

 

修理方法は、まずホットエアで400度程度の熱風を基板にあて、もともとついている接着剤を柔らかくする。

熱風の当てすぎに注意。

超精密なレンズだということを忘れてはならない。

 

そして、この状態で基板を外側から加圧してやると、基板が内側にわずかに動くようになる。

接着剤に流動性が復元したためだ。

もとの位置になるように基板を加圧し、その状態でネジロックを注入してやる。

正しい位置に基板が動いている状態で、接着剤を追加し対応したのだ。

 

 

修理後試写。

 

ネジロックが乾燥し、加圧を解除しても基板が加圧後の位置から動かなくなったことを確認したら、レンズを組み立てて修理完了。

さっそく部屋の中の1.5mほどの距離にある気象計を撮影した。

 

よし、ワイド側いっぱいまでAFでもMFでも回ってくれることを確認した。

これで実質完動品。

とてもお得な買い物となった。

 

 

さぁ、やっと手に入れたナナニッパ。

撮影がより楽しくなりそうだ。

 

 

今日は気分がよいまま、布団へ吸い込まれることとしよう。

 

それでは、

おやすみ。

そういえば、もう5月…。

 時が過ぎるのは早い。

なんだかんだで、これといってなにか進んだ気はしないのに、時間だけはすごくはやく進んでいる気がする。

今後はずっと1年が短く感じていくばかりだろう。

これを、ジャネーの法則という。

 

歯車。ステンレスの旋盤加工後の反射が美しかったので。

 

今日はこれといって何もない一日。

いつもと同じように、地道に作業を進めていく。

急ぐことは無い。

いや、僕は"急ぐことができない"のだ。

 

 

今日は近所のスーパーで安かったスイカをいただいた。

 

イカ

 

うん、あまい。

今年は天候もあって、よいスイカが採れる時期も例年より早まっているみたいだ。

昔はスイカ半玉も普通に食べられたんだけど、今は無理かも。

色々な面で、劣化を感じる今日この頃。

 

 

そういえば、原神がピザハットとコラボするのは明日から。

ピザ食べまくるか…。

 

 

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最近、精神とはなにか、人生とはなにか、幸せとはなにか、ふと考える機会が圧倒的に多くなった。

メンタルがやられるときほど、無理に正解を求めようとしてしまう。

 

動画にあるように、「自分軸」をもつこと、「自分の明確なビジョン」に沿って生きることは、昔から心がけている。

ヒトに限らず、そもそも動物というものは幸せに生きることが、最低ラインの目的として存在する。

つまり、「幸せ」を感じられていない状態は、ヒトとしての最低ラインに立てていないことを意味する。

はやい話、お金が無くても”幸せ”ならば勝ちなのである。

 

現代は、働くことこそが正義でヒトの役に立つことが幸せだとか、結婚して子供をつくれば幸せだろう、とか、あまりにも薄い幸せを強要されがちなのである。

まず、自分が幸せになること。それがすべてにおいてファーストステップなのである。

自分が幸せでなければ、どこか他人にも当たる部分があったり、不要な迷惑をかける場面も出てくるだろう。

しかも、そうゆう部分は自分では認知し難いから厄介である。

幸せそうなオーラとでも言おうか。

そうゆうのは、他人目線では結構ハッキリと目測できるものなのである。

 

「幸せ」を、単純に「楽しいことをできる時間」と一般化するならば、他人の意見とか、指針とか、言葉というものはノイズである。

ヒトによって楽しいことが違うし、思想も、何をもって良しとするか悪いとするかも違うから、当然のこと。

だからこそ、他人、つまり家族やパートナー、会社関係のヒトなど含む、「政治的関係なヒト」に迎合することは、幸福追求において論外だということは自明なのである。

 

よくヒトは、「社会人はこうであるべき」とか、「人間である以上~」とか、「日本人として~」とか、そうゆう根拠のない道を示したがるものである。

そうゆうノイズを排除してやっと、「自分のビジョン」を持つことができる。

自分勝手になれ、というわけではない。

他人を不快にさせるのは、他人からみて「自分から幸せを奪う要素」として認識されることになり、必ずしも都合が良いとはいえない。

最初から”自分が嫌になる領域”に近づかなければ、もしくは離れれば、自分はそのような社会関係から認識されなくなり、「自分勝手だ」と思われることもなかろう。

 

僕がSNSやいくつかのコミュニティから脱出したのも、そこに通ずる部分がある。

「自分の生き方は、大多数のヒトとはマッチできない」

それに尽きる。

自分と他人の生活の流れの差は大きな摩擦となり、それを放置することは、自分の"摩耗"になると、そう判断したのだ。

自分が仕事の作業をしている中、タイムラインの世界では他人が楽しく旅行をしていたり、はたまた、自分がやりたいが外的要因によりできないことをやっているヒトが居たり、そうゆう"認識"をしてしまうことが、自分のメンタルを崩壊させている要因のひとつだと理解したわけだ。

 

そうなってくると、行動を実行したのはよいが、なにを自分の"癒し"にすればよいのか。

考える必要が出てきているように思える。

 

楽しく生きるために、今どんな判断ができるか。

それを強く意識して、行動するに尽きるのかもしれない。

明日は一体どんな変化を作り出せるのだろうか。

 

さて、

おやすみ。

雨。のち、疲労。

今日は早朝からお仕事。

これといって面白いことは起きなかったが、強いて言えば、駐車場にいたドバトとスズメが至近距離まで寄ってきてくれたので、カメラを持っていればな…と少し後悔。

まぁ、お仕事だからそんな暇もないんだけど。

 

お仕事が終わったら、今度は材料の買い出しで秋葉原へ。

が、時間が押していたのもあって、結局寄りたいお店には寄れず。

まぁ、急ぎの用事でもないのでまた今度でも良いか。

直近でやらなきゃいけないこと、結構溜まってるから、メンタルにはあまりよろしくない。

こうゆう状況はどうしても脅迫観念に囚われてしまってだめだ。

安心して眠ることもできない。

 

 

買い出し次いでに友人と東京を散策。

これにはカメラを持ち出した。

買ったばかりのD850をね。

とにかく重い。

まぁ、この「機材感」が欲していたものなのだけど。

 

 

有名メーカ Neumann のマイク。

 

お出かけ前に試写した一枚。

いや、写りよすぎないか。

 

あ、ちなみに僕は現像はせずjpeg撮って出し派。

なぜならめんどくさいから。

撮影時に構図から色からバッチリ決めてしまえば、現像の必要も感じない。

構図は直感で、色はレンズとF値と光源の状態で選ぶ。

 

渋谷の雨。

渋谷の水溜まりと反射により産まれる橙とスカイブルーのグラデーション。

 

今日はほぼ一日中雨だったな。

しかしやはりいい写りをする。

感激で雨どころではない。

D850、とにかく広いダイナミックレンジを生かしてこうゆう明暗をパシャパシャと撮りたくなる一台だ。

 

秋葉原 デニズ&ターキッシュ カフェ&バー。

 

ケバブラップ。

 

友人、小腹がすいたらしいので急遽ケバブをいただく。

このジャンキー感、たまに急に欲しくなる。

 

 

上野駅前。青き光の乱舞。

 

レンズに雨粒が付着した状態で光源を撮影することで、このような光表現もできる。

傘と濡れた路面と高架下の暗黒が表現する哀愁。

雨の日でしか撮れない一枚。

 

 

捨てられた傘。

 

"道具"のたどる道と、行きつく先は実に残酷だ。

 

 

 

今日は雨で気が滅入る中、仕事であちらこちらを行ったり来たりしたので、疲労困憊。

夜ごはんもゆっくりと食べ、うだうだしながらお風呂に入る。

そうして、結局この記事を書けたのも日が変わった後。

 

さぁ、これから更に忙しくなるぞ。

 

記事の文字数も少ないけど、今日はもう寝よう。

おやすみ。

今日までゴールデンウィークなはずだった。

さて。

今日は朝からお仕事で色々とパーツの発注やらメカパーツの設計やらで大忙し。

お昼には買い出しに行くことになり、秋葉原へ向かった。

 

と、そのまえに、今日はよいものが届いた。

 

Nikon D850 Body

 

はい。

先日アップグレード先をどうしようか、と悩んでいたカメラを決定し、ついに到着したのである。

そう、Nikon D850である。

 

これはミラーレス機ではなく一眼レフである。

今日主流になってきているミラーレス一眼ではなく、結局レフ機のこれに決めた。

理由はいくつかあるが、主なものを挙げるとすれば…。

 

まず、個人的にレフの写りが好みであること。

これは大きい。

 

二つ目。新しいNikonのZファミリーミラーレス Z7IIを凌ぐスペックをもっていること。

色々調べていくと、Z7, Z9あたりを使用してもなお、このD850に戻るヒトがかなり多く見受けられた。

それだけ完成度が高いボディなのである。

店頭での実機を触った感触でも確かに感じられた。

 

三つ目。フルサイズ高解像度機を触りたくなった。

僕は特にオールドレンズ資産がいくつかあり、それらを有効活用できるのはやはりフルサイズということになる。

同じくフルサイズなら少し新しいD6があるのだが、そっちの方はフルサイズではあるものの解像度がD850の半分である。

イメージセンサの原理から言えば、画素ピッチが大きく取れるセンサ、つまり大きい撮像範囲で低解像度なセンサほどノイズ耐性が高く、またわずかなブレをごまかしやすいというメリットは確かにある。

ただし、店頭でいくつかいじったりレビュー動画を漁る中で、「しっかりと」撮ればそのようなデメリットも十分克服できているようであった。

高解像度機がノイズに強くないとはいえ、D850は見る限り十分低ノイズ化に成功しているように思える。

D5500の2倍はISOを高くしても大丈夫そうだ。

 

ノイズの少ないなめらかなテクスチャの写真を、僕はクラシック音楽のようなものだと思っている。

えぐみもなければ遊びもない、ただ純粋な"ベース"。

僕はそこに動きを演出する"ブレ"や、周囲の光量を演出する"ノイズ"という「フレーズ」が載ることで、やっとひとつの作品になると考えている。

高解像度機以外の画は原理的に低ノイズ&低ブレを達成しやすいものの、僕は写真は「記録」だと思っているところがある。

撮影した瞬間に含まれるノイズすらもその「記録」の一部であると考えている。

画像処理エンジンによってノイズリダクションがうまい具合にかけられていても、それはどこかノッペリとした写真にしかならない。

それよりかは、多少ノイズが含まれていても、シャープさがあった方が、個人的には好みである。

ギターの録音だってバイオリンだって、ストリングノイズやポルタメントが無ければ表現力に欠けるし、単調な"素材"になる。

必要以上に情報を削らない。

これは写真だけではなく、音楽でも絵でも、文学でも通用する"おきて"である。

 

 

AF-S Nikkor 24-70 f2.8 G EDも調達

 

レンズも調達した。

ものはAF-S Nikkor 24-70 f2.8G ED。

ウチにはNikonv DXフォーマットのレンズはいくつかあるものの、それ以外の35mm向けオールドレンズだけで回すのは少し厳しいものがある。

というわけで、FXフォーマット対応の標準的に使いやすいレンズを一本追加したというわけ。

あ、あとバッテリーグリップも調達してある。

これがあるだけで撮影可能枚数がグンと増えるし、なにより機材感が増えるからね。

 

試写

 

うん。

すべてが完璧という感じか。

まぁ、それが分かってて買ったのだから当然。

 

AFはとにかく高速、背面OLEDディスプレイも見やすい。

全世代のNikon D750に比べて約二倍の解像度になっている。

現場でのプレビューがより確実なものになったと感じる。

 

 

一通り機能を触り終わったタイミングで、街での試写も兼ねて、お仕事の買い出しへ向かった。

 

 

 

子供の権利パレード…??

 

渋谷で奇妙な軍勢を見かけた。

スクランブル交差点を跳梁跋扈するオレンジ色の集団。

この隊列が通過し終わるまで、交差点の信号は通常よりもかなり長く赤信号が続いていた。

タイミングが悪かったのだ…。

 

秋葉原の交差点にて。 D850で撮影

駅前の原神広告。カーヴェが追加されていた。

渋谷スクランブル交差点。ヒトが多すぎる。

モ。表面の質感すら伝わってくる。

 

 

今日は買い出しメインだったのであまり時間は割けなかったが、それでも700枚ほど撮影した。

CFExpressカード、128GBだけど、さすがにこの解像度だと容量が潤沢だとは言えないね…。

とはいっても、旅先じゃ携帯用ストレージに移動してしまうし、問題はなさそう。

 

 

というわけで帰宅。

再びお仕事の作業に取り掛かる。

む、なんかいい感じの成果が上げられたような気がする。

 

 

今日のおやつ

 

今日のおやつ。

頭を使う作業に糖分は欠かせない。

「なせば、なる」。なるほどね。

当然、「何もしなくてもどうにかなる」という意味ではない。

「やることをやっていれば、良かれ悪かれ結果はついてくる。やらなければ、なにもついてこない。」

というニュアンスだと、どこかの歴史資料館で見た記憶がある。

江戸時代版 Just, Do it !!! といったところか。

 

 

 

体力も頭も使って疲れてしまったので、今日はゲームできる元気はなさそう…。

樹脂消化して寝よう。

 

おやすみ。

まだゴールデンウィークなはず。

今日は、午前に少しばかりお仕事を進めた。

何も進んでいないと、少し負い目を感じることになるから。

 

そして、本日は少しばかりウィンドウショッピングへ向かった。

場所はとある家電量販店である。

 

 

少しお金に余裕が出てきたので、手元のカメラをアップグレードするのも悪くないな、という考えが過っていたからだ。

候補はいくつかあったが、こうゆうのはやはり店頭で現物を触ってから総合的に評価するのが筋であると思っている。

 

候補の中の一つ、Fujifilm X-T4

ボディ内手ぶれ補正と、X-Tシリーズお馴染みのX-Trans CMOSイメージセンサには魅力がある。

僕は手ぶれ補正内蔵のレンズはあまり持っていない。

だから、ボディ内手ぶれ補正はあると嬉しかったりする。無くても良いけど。

レンズの写りを気にして選ぶと、そのどれにも手ぶれ補正機能が載っていないのだ。

X-Trans CMOSも構造とシカケはとても合理的である。

一般的に用いられるベイヤー配列のCMOSイメージセンサも含め、大半のイメージセンサの画素の配置はG2B1R1となっており、Gの感度が高い。

これの配置に多少の"乱雑さ"を持たせることで、画像処理エンジンで行われるデモザイク処理の結果がナチュラルになる、というもの。

現状のイメージセンサは、Sigmaの一部のカメラに搭載されているFoveonセンサや3CCDを除きデモザイク処理が必須である。

これより詳しい話は半導体工学と画像処理工学の分野のお話になるので割愛するが、要は拡大した時ののっぺり感が出にくい反面、エッジの再現度と高感度耐性が犠牲になる。

 

ただし、個人的にあのデザインは 「常用には使いづらい」と感じる。

僕はフィルムカメラのフォルムが好みなのもあるし、機能美が光るスタイルは大好物なのだが、機材として見た時、やはりあのデザインは非効率である。

もう少しグリップが深ければな…。と思う。

 

握る力が不要になるのは、疲れなくて良いのだ。

Nikon Z50で余計に実感する。

デザイン重視の機材選びと機能面重視の機材選びは分けて考えるべきである。

 

候補の中のもう二つ目は, Nikon D6

ニコンが一眼レフ機の製造を終了すると発表してから最後のボディ。

機能面、画質、操作感全て問題ない。

問題があるとすれば価格と重量だろうか。

 

候補の中の三つ目、Nikon Z7II

割と最近出たミラーレス機である。

僕はZ50を所有しているのだが、やはりどうにも”ミラーレスの絵”はしっくりこない。

(いや。正確には全く問題のない像なのだが、100%自分が欲しいと思った画か?と問われると…。)

あとEVF(電子ビューファインダー)がいくら自然になったとはいえ、OVF(光学ビューファインダー)には敵わない感じがするのだ。

ほんの僅かのラグとピクセル感が気になって仕方がないのだ。(動体撮影時以外は問題ない)

Z50の完成度がとにかく高いので、アップグレードの候補としては薄いが、一応考えてはいる。

あと、機材感が欲しいなと思っているので、スリムになったミラーレスはその点で不利である。

見てくれで選んだボディのラインナップは既に所有しているし満足している。

OLYMPUS OM-Dも所有していたが、あれもデザインが好みだったのと手ぶれ補正の強さに惹かれたから購入に踏み切ったものである。

 

 

 

ふむ、考えているとキリがなくなってくる。

とにかく堅牢さと機能面重視で選ぶと、Nikonのゴツい類の製品は選択肢として強い。

CanonFujifilmは、どうにも"作った感"が消せない写りなので、少し躊躇う。

最近の製品は絵いじりが精巧な故に、画がいじられていることに撮影者自身が気付きにくくなってしまった。

偽物の画が嫌いな僕にとって、SNS映え向きなカメラはどうしても選択肢から外れる。

こうしてまたもや流行りに乗れない哀れな人間が誕生するのだった。

SonyPanasonicも最近はデキが良いと感じるが、動画性能はZ50で満足してしまっているし…。という感じ。

 

あと、Nikon以外だと現状のレンズ資産が活かせない。

所有欲を満たせるモデルはどれだろう…。

 

 

まぁそんなこんなで色々と実機を触り、感触を頭にインプットしたところでいいお時間になってきた。

夜ご飯はお肉。

 

ワイルドステーキ300g

 

まだゴールデンウィークだろ。

多少豪遊しても許されるはず。

ちなみに、某ステーキ店ゴールド会員なのでソフトドリンクをつけられる。

 

まったりカフェ。

 

油物を摂取した後は決まって自宅近所のカフェに寄る。

マスターとももう顔馴染みだ。

写真はあたたかいココア。

ココアは糖質と脂質の豊富な飲み物だ。

意外と勘違いされがちだが、糖質と脂質を意図的に減らすのは体に悪い。

体内の消化系の循環を回すのに脂質は必要であり、これが不足すれば人体は炭水化物を内臓脂肪や皮下脂肪として蓄えようとする。

痩せたい、と思うヒトほどそこを疎かにしがちなのである。

(これに関しては、太る=脂肪=脂質といった間違った認識を広めたTVに罪があると思っている。)

 

 

 

ココアを楽しみながら、色々と考えていた。

自分は漠然とした、薄くしか見えない道をなんとなく歩んでいるだけで、その先の目標など立てようがないのかもしれない、といった、哲学的なことである。

答えはないのかもしれない。

 

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岡田斗司夫氏も同じような感触に達しているようである。

結局はその場その場全ての行動が分岐であり、その分岐は運という確率的な成分がトリガーでしかない、という考え方。

なりたいものになれる、というのは一部の幸運なヒトが語る結果論であって、ほとんどのヒトはそうではない、という考えである。

とりあえず誰かが喜んでくれれば、それをやり続けるのが力になる。

 

確かに、僕が今現在取り組んでいるお仕事も全てキッカケは ”よくわからない突然の縁” であったし、例えばカメラマンを依頼された時も、ナレーションを依頼された時も、これを仕事にする気はないな…といった「ブラックリスト的な排除思考」は割と明確に自分の中にあったのである。

そのブラックリストに載っておらず偶然発生した道こそ、自分のやるべきことなのではないだろうか、という考え方もできる。

なんだかんだでお仕事の成果も喜んでいただいているみたいだし、それが能力というものなのかもしれない。

とはいえ、それが「自分が人生を賭けてやりたいことか」と問われると疑問な気もするし、難しい話ではある。

この考え方が一理あるとすれば、「能力を活かす」ということ自体がどこか第三者依存の行動な訳で…。

この辺りで考えるのをやめた。

 

 

ここで帰宅してゲームタイム。

 

 

学院祭 第三幕。

このサーチェンのセリフには激しく同意できた。

僕は歴史は「屑」だと考えている。

なぜなら、現状の社会を構築した全ては人類の歴史であって、現状残る理不尽な社会システムすら、歴史の残渣に過ぎない、と思っているからである。

基本的には歴史は反面教師にすべきであって、そこから良い学びを得ることはないだろうと、歴史は多数が悲劇の歴史であろうと、そう信じている。

”歴史の良い部分は真似すれば良い”などと甘く見ている類のヒトは、まずエゴイストだと思っておく。

 

 

生きている以上、終わることのない課題。

これにどう落とし前をつけてくれるか。

考えても仕方ないのかもしれないが…。

 

まぁ、僕は答えのない疑問を考えるのは好きだ。

考えれば考えるほど、現代には残酷な結論が導き出される問題が溢れていて、精神が壊れていくんだけどね。

 

ぐぬぬってなってるセノくん

セノくんのキャラで裏はカードゲーマーなのギャップがやばいだろ


銀行に並ぶのかな…。


 

アルハイゼンのセリフ。

僕がいくつかのコネクションを切断し、俗世からの距離を置く方向に動いた理由と一致する。

こんなにも「タイムリー」なお話もあるものなのだな。

 

 

ゲーム終了。

さて、そろそろ某会社が購入してくれた機材が届く頃だろうか。

追跡番号もわからないので、受け取りに失敗すると面倒臭いということは容易に想像できる。

うち、物流系の営業所が近いので、朝早くに荷物が到着することが多い。

便利なんだけど…。眠い時は叩き起こされるか、起きれても到着するまで何もせず目は開けておかないといけないので、かなりつらい。

 

 

さっさと寝よう。

おやすみ。

メンタル回復のためのご飯小旅。

今日は前日の約束通り、友人らがご飯に誘ってくれた。

精神がやられた時、一人でいない方が負の感情の連鎖がいい感じに断ち切れて、心地よいのかもしれない。

感謝の限りである。

 

バーガーキング ストロング・ザ・ワンパウンダー

 

このような、とにかく巨大なハンバーガーをいただいた。

ばかみたいなものを食べてばかをした気になる。

メンタルが崩壊しているときほどバカなことをしたくなるもの。

周りに迷惑をかけずに、ばかなことをするのは、気分的によい。

何より、おいしいからね。

バーガーキング、やっぱりお肉が最高なんだよね。

アメリカンなビーフを感じることができる。

とにかく油がやばい。

ジューシーであることこの上なし。

 

とにかく大きなハンバーグ

大きさは友人との比較でこんな感じ。

下側のバンズはお肉の重量でつぶれているのか、ほとんど存在感が消えていた。

ハンバーガーというより、ケバブサンドを食べているような感覚だ。

ハンバーグ好きにはたまらない一品だろう。

 

ところで、一個で1209kcalらしい。

太りにくい体質でよかったなと思う。

 

P902i製の私。

友人は最近古いガラケーで写真を撮るのにハマってるらしい。

この時代の画も時代を感じれて良い。

僕もガラケー時代はよく写真を撮ってたな。

現物がもうないし、データも残ってない気がするけど…。

 

 

次に、場所を新宿に移し、最近新たに運営が始まった東急歌舞伎町タワーを見学に。

あのトー横も、すっかり人通りの一部になっていた。

場所を追いやられた彼らは、今頃どこに身を潜めているのだろうか。

 

東急歌舞伎町タワー

 

東急歌舞伎町タワー内部 1F

 

歌舞伎町タワーの内装はとにかく煌びやかに光るネオンサインが基調になっているようだ。

海外から見た「日本のイメージ」を濾して濃縮したといったところか。

ゲーム、サイバーパンク2077では日本っぽいエリアもこんな感じだった気がする。

ある意味話題になっている「ジェンダーレストイレ」も観察してきた。

多様性への配慮も、やり過ぎれば悪人のオアシス、と化すこと間違いなしだろう。

社会の行う"ヒトの選別"には、そうゆう観点で、意味がないとも言い切れないのだ。

 

一階は呑み街、二階はゲームコーナーといったところか。

 

呑み街は非常に雰囲気がよく、暖色系ライティングが施されたアイランドカウンターに、脚の長い椅子に腰を下ろし、ちびちびとお酒を楽しむお客さんが散見された。

非常に絵になる景観だろう。

リアリティがあるかはさておき、あの「非日常感」は少しハマるものがあった。

 

二階のゲームコーナーは、とにかく狭いと感じた。

クレーンゲームをやろうものなら、それはおそらく常にお尻に通行人の体当たりを喰らいながらのプレイになること不可避という感じである。

 

あまりにもヒトが多いので、上層階のテラスやらなんやらは観察せず、さっさと退散してしまった。

 

その後しばらく都内を散策。

そして、今日の収穫はこれ。

 

Nikkor-Q Auto 135mm f2.8

 

Nikkorの中望遠レンズ 135mm の f2.8 である。

この時代のNikkorはとにかく写りがよい。

フルガラス玉な上に鏡筒もメタルなので、重量こそあれど、とにかくエッジはカッチリと、色もあせることなく再現される。

カメラ屋さんで破格だったためほぼ衝動買いである。

フィルムカメラの持ち出しが増えるであろう今後に備えて、Nikkor はラインナップを揃えておきたい。

まぁ、元からNikkor信者なのだけど。

 

コメダで爆食い中の友人ら

 

東京での散策も疲れてきたため、コメダ珈琲さんにて休憩。

ついでに夜ご飯もここでいただいた。

 

撮られた「料理を撮る僕」

ミートソーススパゲティにシロノワールに、お昼の巨大バーガー…。

もはやカロリーなんて考えたくもない。

ちなみに、僕が今日撮影に持ち出したのはNikon FEである。

非常に完成度の高いフィルム機である。

特に、アナログ針の露出計やスプリットイメージは現代のミラーレスには到底再現できない便利機能であろう。

 

時代を遡行した趣味に、はなから完成度など求めない。

最初から成果を求めないつもりでやる趣味は、きっと気分が楽だろうと、そう判断したのである。

人間、それくらいの"適当"を繰り返している方が、よっぽど人間的で豊かな生活が送れるのではないか、と思う。

その片鱗を少しでも感じれるフィルムでの撮影は、よい。

写真が"物理メディアで残る"というお楽しみもついてくる。

 

 

 

さて。

今日は特に金額も気にせず美味しいご飯をたべ、素晴らしいレンズを衝動買いし、いい1日だったと思う。

このような生活を延々と繰り返しても咎められない社会が到来して欲しいものである。

 

では。

おやすみ。